ガチの切なさを受け止める余裕なんてもうない

同期と追い出し会のためのボードづくり。同期と3人で画材やさん行って画材買って、ペンキ買って。夜に仕事終わりに集まって白いペンキで文字描いて。

卒業ソング流しながら。もうだめだ。やられっちまう。悲しくて悲しくて。切ないとか悲しいとか。もうお遊びの段階を超えてる。本当に悲しい。ほんとに切ない。ほんとにさびしい。あっというまに。あっというまに。。

カルチャーにまじわるためかそうでないのか、ハロプロも聞いたし。盛り上がる曲を夜によく聞いた。こんな懐かしい曲ばっかり流されちゃ、もうだめだ明日仕事に行けない。

働き甲斐

働くことにやりがいは見つけるものだ。需要合っての仕事だ。求められることに対してこちらの業務内容が決まっている。まあ相手が欲しがるものを操作するってのも必要なところだし売る商売なんてまさにそうだと思うんだけど。

今の仕事初めて1年。この仕事の遣り甲斐はなんなんだろうか。社会にこの仕事がないとだめだなあと、そういうことについて比較的合点の生きやすい職業だと思うんだけど、いまのところなんとなく楽しくないなあと思ったり。

でも今は過渡期な気がする。本を開くことに興味がわいたから。

 

この仲間といられるのは1年だけだ。あとはみんな散り散りになってしまう。あまりに惜しい。大事に大事にこの時間を過ごしていきたいと思ってやまない。

ロスターイム

菊池かっこよすぎんか。生き様と振る舞い。

 

25歳。親しく話させてもらってる彼らは34、41、とか。僕が彼らの年になるまであと9年や17年。それだけの差があってもなお。これはロスタイム。彼らが夢見た「昔に戻れたら」の今。なにをしてもいいなにをやってもいい。自由を手にした今。努力だってする価値あるし、やってのけたい。

懐かしい人から連絡がきた

よく大学とか高校の人と飯を食いに行ったとごまかしたりする。

酒も飲まないのになぜか飲み会の予定がつながる。

何度も会える人がたくさんいるわけじゃないのに週末の予定も連続。少し仕事がもつれこむと謝りながらキャンセル。

愛されているとはなんだ。まあ、よほどでない限り人は人に対して情を湧いたりそこまで気持ちを寄せたいしないという前提は大切だ。私も然りかもしれない。人に頼るというのはそれだけリスキーなのだ。

懐かしい人から連絡がきた。去年の夏に1か月程度付き合った人だ。向こうが仕事がなくなったころから連絡が返ってこなくなった。そこまで身勝手なことをされては、もう取返しをつけるつもりはあまりないけど、信用って難しいなと強く思う。自分はなんか、そういうつまらないやり方で期待を喪失してしまうことがある。

美味い飯屋を同期が教えてくれる。

体力的に疲れているのやら。

自信を持て。夜は短し歩けよ乙女。

何が最悪って結局何もしなかったことが最悪に決まっている。後悔しようと失敗しようと、臆病が理由ならやってみるべきだ。買う理由が値段なら買うな、買わない理由が値段なら買え。やらない理由が臆病ならやれ。

買い物もしてみた。欲しいものが買えばちゃんと手に入る経験を少しずつ積んだ。今まで苦手だった店にも堂々と入れるようになった。着てみたかった服も来てみた。似合ったりもした。数か月前とは明らかに違う。できることも増えてる。歩いている。進んでいる。どこかには変わり続けている。落ち込んでいる暇などないのだ。

ステージに立ちたい

忘年会シーズンだ。クリスマスもある、芸だしもある。目立つ、みんなでパーティをする、出し物をする。

ステージに立ちたかった。喝采を浴びせるのもいいけど、たまには自分がステージに上がりたい。目立ちたがりは昔からだ。でも恥ずかしがりも、自意識が過剰なのも、それは中学生ごろからかな。人を笑わせたいみたいな、芸人さんのエピソードトークによく共感する。わかるわかる、とよく思う。

ステージに立つのに資格はいるのか。知らない。立てばいい。自分が楽しんでいればいいし、見ている人を楽しませようという気概があればなおいい。謙虚でもいいし、ちょっと調子に乗ってみてもいい。なんでもいい。こうでなくてはならないとか、こうであるべきだとか、そういうのは中盤以降に、ステージに立ちたいなあとか、そんな段階をとっくに超えた人間に出てくる発言だ。

だからやってみればいい。誘いに乗ればいい。