5月

5月がほとんど終わろうとしている。そろそろ東京も梅雨入りするだろうか。6月が終われば、1年も半分が過ぎたことになる。1月から3月は、だいたい年度末にむけてドタバタしていて、滑り込むように4月からの新しい環境に突入して、疲れてかぜを引かないように気をつけているうちにゴールデンウィークになって。慣れてきたなあと思って1週間が早いなあと思っているとすぐにこんな時期になる。

仕事にもっと取り組みたいと思っていて、少しずつ達成されている。もう苦笑するほど当たり前なことだが、ひとつずつ知識を習得している。

体重は完全に横ばいだ。体に全体的に脂肪がのっているのを感じる。ラグビー部の同期からもらったダンベルで40㎏のデッドリフトと10㎏のアームカール、20㎏のスクワットをやっている。胸を鍛えていないのが気になる。

本を読むことだけは、軸として続いている。溜まったりもしているが、絶え間なく読んでいるし、一冊一冊に手にいれた理由もあるので、悪くない気持である。でもつねに借金を返しているようで、ちょっともやもやする。やっぱり、本屋にはいる、面白そうな本を見つける、それを真っ先によむ、というサイクルが良いと思うんだよな。そう思うと、ストックしておく本は、だいたい5冊ぐらいじゃないだろうか。1年で読む本の量にもよるんだけど。去年は何冊だったかな。20冊ちょいぐらいだろうか。だとすると、今年はすでにそのぐらいは読んでいるけどな。

クラシックギターを少し触るようになった。もっと触りたいけど、次はどの曲をやろうかな。

 

人づきあい

今の恋人に求めるものは、愛情ただそれだけだ。上京して2年。想像よりうまくいったこともあれば、想像よりうまくいかなかったこともある。恋愛はうまくいかなかったことだ。

前の恋人とは。未熟さゆえの不安で触れなければよいことに触れてしまった。本当は、あいまさをただそのまま抱え込み、グレーのまま保留にして、数か月か半年をかけてゆっくり確認していくべきものを、短時間で白黒はっきりさせようとした。

愚かだっただろう。でもそれを今のおれは責められない。その時のおれは、おれなりに一生懸命だったのだ。

なんにせよ、当時のおれは疲れ果てていた。たくさん人がいるのに、なんとなくうまくいく人はある程度いるのに、俺が欲しいものはなかなか手に入らなかった。そんな俺に彼は愛情を注いでくれた。俺は彼に感謝している。

彼はその上料理を作ってくれる。俺の好きなたべものを聞いてくれて、それを覚えてくれている。俺の食べたいものを聞いて、それを作ってくれる。机に食事を並べてくれる。好きだ。でも、作ってくれなくても好きなのだ。

恋人

今の恋人について語ったことがない。なぜだろうとたまに思う。故郷の恋人についても語ったことがない。なぜだろう。もっと彼らについて語るべきだと思う。

今の恋人は、以前の人と年齢が同じ、生活が丁寧なことが同じ、料理が得意なことが同じだ。しかしそれらの表現は嘘ではないが、異なる部分も大いにある。

食べたい料理を作ってくれる。自分を好いてくれている。

彼と出会ってからもう4か月以上が経っている。思えば彼と出会ったのは去年末の話だ。

寿命3年間、そんな思いが自分の中にはあって。

おしゃれ

おしゃれに弱い。人からの印象。かっこいいと思われたい。東京。インスタ映え。かっこよくありたい。自分の好みではなく大衆からの評価を気にすること。

自分の好きなものだけでいくとだらしない体形でとても限られた人との関係の中で生きて、出世もしない、人前にも立たない、狭い世界でこじんまりと生きていく。行き詰ってしまう。そんな風になってしまいそうな危機感。クラスのさえないオタク系のひとたちには同族感を感じる。彼らから勤勉さを奪ったのが自分、そんな自己認識。

おしゃれであってほしい、しかし実用性は絶対譲れない。日々の細やかな管理を要するようなことは無理。そこまで服や持ち物に興味はない。だからこれなら85点、という持ち物のみに固めておく必要がある。

俺が一番かっこよく見える服装は何だ?基本的にはそれだけ5パターンぐらいあればいい。

おしゃれではない、かっこよくないものは捨てるということが大切。

睡眠

1か月に1つは記事を書きたいと思っている。願わくばひとつのテーマについて1月かけて加筆修正、推敲を重ねて良質な文章が書けたらと思う。

睡眠、すきあらば目を閉じて眠ること、というのは最近の最優先目標だ。もともと鼻炎がひどく扁桃腺も非常に大きかった。鼻呼吸なんてまともにできたことがないし、体型のせいもあっていびきも昔から酷かった。卒業旅行や部活の遠征で一緒に寝ている友人にいびきで迷惑をかけたこともあるし、無呼吸ぽかったよと言われたことも何度もある。恋人には頭が上がらない。

日中の眠気も強いし、なんとなくイライラしたりぼーっとして食べ過ぎたり気力がなくて後回しばかりしたりで、納得のいかないことが多かった。大学生の時に鼻の手術を受けた。症状は3割減といったところだったが、なくならなかった。

先月扁桃腺の手術をうけた。その際に鼻も焼いてもらった。いま人生で一番鼻呼吸が出来ている。いびきもかなりなくなったらしい。それでも朝は眠いし昼もねむい。ということで、やっと言い訳がなくなった。俺は睡眠時間がそもそも短すぎるようだ。

瞑想を取り入れたいと思っていたが、それすらもできない。俺にできるのは、とにかく隙あらば寝ることだと思う。うとうとして夢うつつな気分は幸せだし、頭が整理される感覚もある。

ベッドカバーを洗濯したらこんな爽やかな気持ちになるものかと驚いた。まくらも洗いたいと思っている。

西川エアーのベッドマットを使用しているが、これはいいものだな。布団は実家からずっと使っている羽毛布団が一番好きだ。

宇多田ヒカル

宇多田ヒカルが好きだ。特に初期の曲にはつらいところを助けてもらったし、今でも助けてもらう。in my roomとか。For youとか。暗い曲と言われたりするけど、え、そうかな、って思う。これって暗いの?

 

宇多田ヒカルの母親は藤圭子だ。藤圭子躁うつ病だったそうで、躁状態のときは娘をとても愛して可愛がり、うつ状態の時はかなり心に刺さる言葉を浴びせたそうだ。子ども時代に親から愛情を受け取れたか、そしてどういった形で親からの愛情を受けたか、というのは必ず影響する。

思えばうちはこれに近しいと思う。条件を満たせば母親は自分をほめてくれた。満たさなければとてもがっかりした。きっと、祖母は母に対して、もっとその傾向が強かったのだろうと彼女の話の端々から推測している。

 

すっきりした、ふっきれたは勘違い、というフレーズはネギま!という漫画で印象に残っている。好きな言葉だ。それはそれとして、体か心のどこかに引きずるなり含むなりしたまま人生を進んでいく。その様子はなぜこんなにも見る人の心を勇気づけ、日常の甘えを回顧して恥ずかしさから襟をたださせ、なによりも強さを感じさせるのだろうか。

 

宇多田ヒカルは人間的活動を、といってしばらく音楽活動を休止した。愛する、そしてまた自分を愛してくれる人を見つけ、子を授かり、また音楽活動を再開している。10代や20代前半に彼女が作った曲と今の曲には違いがある。