出さない手紙

好きになるとはこういうことなんだな。あなたでなくちゃだめなんだ。閑静な飲み屋街を歩くのも、少し洒落た店で隣に座るのも、昼間に住宅街の中の紅葉を見上げるのも。好きなあなたとでなくちゃ、もっと綺麗には見えないのだ。

そしてそれと同時に、今そばにいてくれる人に感謝の気持ちを持とうという心がけが、より強くなりました。それでも今私のそばに居てくれる人がいる。私はそのことに頭を下げるべきだと思う。

感謝はもっとも美しい感情の一つだと思う。どれほどあっても、汚くもならないし、誰かを傷つけたり寂しい思いをさせることのない、高尚な感情だと思う。

神様、本当におられるのですか。いなくとも、私はこの世の中に感謝したい。あなたに頭を下げて祈りたい。大学の友人に会いに新幹線に乗って、たった半日でこんなにも生きる喜びを思い出させてくれてありがとう。何の取り柄もない私を後輩がどうしても飯にいきたいと何度もスケジュール調整してくれる。神にあいされたかのようなハイスペックな上司がなぜかお前に会えてよかった本当にお前はとんでもないやつだなとプライベートの時間をくださる。これほどの身に余る幸せを、私はどれほどの責務をはたせばいいでしょうか。

結局、あなたとの関係は、おはようおやすみをLINEで言いたいとか、毎週どうしても会いたいとか、大学の同級生から「高校生ならわかるけど、20代後半でそう言ってるのは少なくとも少数派だと思うよ」なんていうことで、あなたに愛されていないとわたしは一人暴走して独り相撲して、勝手に寂しくなって悲しくなって。あなたにそれを婉曲的な形でぶつけて。あなたは思いもよらない方向からなぐられて、これ以上やっていけないとなってしまった。

もちろん、そんなことになる前から、あなたにもいろんな問題があった。あなたは気が付いていないけど、結構傲慢だ。臆病がゆえに相手を傷つけている。そしてそれに気が付いていない。自分に都合のわるいことを言われるとデリカシーがないと言う。大人としてはあまりに情けない姿だと思う。

でも繊細でおちついたものに親しみを覚え、そこで穏やかな時間を過ごすことを望み、植物をいつくしみ、たべものを丁寧に用意し、日常の些細なものをみのがさない。あなたのその生きかたを本当に尊敬した。

あなたは多分SNSにあんなに労力や時間を割くべきではないと思う。一番すべき仕事がめちゃくちゃになってしまったし、直接的な人間関係について考えないのもそのせいだと思う。イイネがたくさんついても、あなたが人と接するときに不愉快かどうかは、関係ないんだよ。しなくちゃいけないことを後回しにして、楽しい事ばっかりやってる人と同じ。ただそれが、テレビゲームやスマホではなく、海外旅行の写真や料理であるというだけで。

私があなたについて整理できるのはまだ先だと思う。時間をかければ出来ることだと思うけど終わりは見えない。それを抱えながら私は新しい人と会うし、誰かに好かれることもあるし、誰かを好きにもなる。

警戒心がつよくなったのか余裕が出来たのか、あやまりたいほど、あなたと交際していたころより落ち着いて人との好意をみつめられるようになりました。1回や2回の感情変化などよめないから、とにかく繰り返し会っていくしかないということ。ほれ込むほど好きになったりするかどうかは、もう本人たちにも操作できるようなものではないし、なにが惚れ込むほどのポイントになるかも、本人たちにさえ分からないということ。

あやまりたいほど、あなたと出会って私はかわった。もう、あはようやおやすみのLINEがないことで恋人をこまらせるようなことはそうそうないと思う。相手の愛を信じるということも、相手の好意をおしはかることも、時間をかけていくしかないということ。

 

本当にありがとう。そしてごめん。そして名残惜しいしまだあなたが恋しい。理由がわかっているような、間違っているような、そしてそれがわかってもあなたをそれでも好きだと思う。でもあなたなしの日々を、それはそれとして楽しくすごせるぐらいにはなりました。人の心とはこんなにも変わっていくのだなと情けなく愛おしい。

狭い世界だから、偶然再会する可能性は十分あると思う。きっと気まずくて、言葉をかわすこともなく、楽しい時間は共に過ごせないと思う。それでも私はあなたが好きだと思う。そしてあなたと同じように、あなたでない誰かをもっと好きになると思う。

あなたに会えてよかった。余裕がなくて、自信がなくて、あなたの愛を信じられずごめんね。あなたに出会って私は変わった。変わるきっかけをありがとう。あなたは本当に魅力的で素敵な人だと思う。