1月

 仕事にまつわる苦労はつきない。当然なのかもしれないが、自分が習得しているスキル、そして習得していないスキルの有無がはっきりするし、なぜはっきりするのかというと、そのスキルを持っていないと状況が悪くなり体感的に困ったことになるからだ。

 すぐ仕事に手を付ける、まずは間髪入れず数分着手してみる。能力や意志の力ではなく、仕組みで解決しよう。余計なことが頭に浮かんで気分が落ちたり足がとまるまえに動き出してしまう、そのぐらいのノリで動けるぐらいまで初動のステップを落とすことが肝要である。

 「仕事は楽しいかね?」という本がある。最初に読んだのはいつだろう、まだ大学生だったような気がする。「試してみることは面白いことである」という気づきを与えるための本、という印象だ。なんでもやってみる、試してみる、トライすることを面白がる、そういう心持ちを教示してくれたイメージだ。

 本当は今頃もっと立派になっているはずだったのに、同期入職の彼らより勝らずともせめて同じぐらいのスピード感で成果を残せたらどんなに心軽く毎日を送ることができるだろう。優秀な後輩に追いつかれ追い抜かされるようなこの感覚にさいなまれる日々に、どうしてなってしまったのだろう、どこで間違ったのだろう。友人がそんな思考回路をしていたら、そんなこといいから、本当にしたいことは何なのか、理由はどうあれ何を達成したいと思ってるのか、今のお前(ごとき)で想像できるゴールと逆算した計画で当面の目標は何で、そのゴールの1/100ぐらいに砕いた手順でいうと何から手を付けたらいいのか、それをいつどこでどんな状況で開始する予定なのか言ってみろ、となるだろう。

 「反応しない練習」という本を読んだ。自分の中にあるネガティブな感情やそれを生じる理屈の多くが妄想であるということ。反応しない、ということが肝心であるという本。繰り返し読むだろう。

 樺沢しおんという精神科Dr。書籍やYouTube。幸福の分類(段階?)として、セロトニンオキシトシンドーパミン

 随分寒くなってきたな。1月下旬だもの、当たり前か。今年はユニクロで買ったセーターをいたく気に入っていて、取りつかれたように着続けている。深い緑色のセーターがしっくりと似合う30代にちょっと憧れていた。仕事とそれに関連することに意識が常にとられているから、洋服は本当に同じものばかり着ている。

 生まれる家庭を選べないように、死ぬ日も選べない、個体の命とはそんなものだと思う。FIRE、数十年での長期投資プラン。「終わった人」の後書きに記されていた、「社会人時代の華やかさや活躍は人それぞれだが、意外と定年を終えて社会的に終わった人になった後の日々はどれも似たようなものである」という言葉に救いを得たというか、方の緊張が少しほぐれたような感覚。将来のことを考えると今やっとかないといけないこと。健康とは悪事を働かなければ保証されるようなものではない。自分の行動で自業自得は予防できても、自然のもたらす暴力的なカード配りの前に一個体は無力である。だから、「反応しない」ことが、心穏やかに、目の前にあるものに感謝と敬意を持てる方法なのかもしれないな。