1月
そういえば、えーと話すことが多すぎて、反応が返ってこない、というパターンが少なかったかもしれない。結局このブログは、知り合いの誰1人にも教えることなく続けている。こう言う時は、誰にも言ってなくてよかったなと思う。
孤独感をどう昇華するか。機能不全家庭サバイバーと、エリート(好きに言わせてやってください)、セクシャリティによる慢性的に産生され凄まじい量の熱を持つ孤独感。それをどう昇華するか。
今の俺は、その熱を誰かに分け与えることでしか癒やされない。言葉でやりとりするだけでは足りない。相手の変化を待って、持てる量だけを渡す、その程度では全然おさまらない。AIで整理するのでもまだおさまらない。それは時に仕事の成果物として、ときに肌の接触として、時に食事として、時に存在として。何か無視のできない、支配的な慈愛、正気を失うことを許さない狂気じみた誠実さ、自然災害のようにただ圧倒的なエネルギー量を持ち、灯台のように自分の居場所を教え、鏡のように自分の姿を晒し、ただその熱に、何か理性を揺らがされる。
しばらく、人が離れていってしまう時期になるのかなあ。次の彼氏との電話は大切にしよう。いつが最後になるか誰にもわからないから。
「社会的にみてやばいギリギリなのは確かですが、この人物はとても人間的です」
理性を揺らされる熱量。吸い寄せられる狂気。「どうしてあんなことになったのか・・・」
決して悪いようにはしないから、今はただ黙ってされるがままになれ。今は何も考えるな、ただじっとしてろ。
「今日は何も考えたくない気分なんだ」笑いながら酒を飲む。
熱、を大事にしてるキャラいたよな・・・サカモトデイズかなあ。いや違うな、呪術廻戦だ。
以前として台風の中にいる気はしている。ただ、どんどん、台風の目の中に入っているような気分だ。轟音が鳴っている、凄まじいエネルギー量の風が自分の周りを回っているのを感じる。でも当の本人の俺の立っている場所は、なぜだか妙に静かだ。
クオリティの高い仕事の成果物は、優秀な同僚や、上司さえも黙らせ支配するものになる。もちろん「そう言う見方もできる」ってだけよ。100%な訳ないからね。
頼りになる立派な兄貴、優秀な中堅、そこにマッチするロジックが出来ていない性的嗜好。統合、人格の統合。びっくりさせてごめんな。でも、多分、後悔はさせないと思うけどなあ。だってお前が、ストレートの友達に許してきたことだろ?なんでお前のは許されない扱いなのさ、変だよ。
痛みを不都合な事実に対して、本当に多くの人が否認で対処をする。寿命が来るまで否認で対処できることもあるし、無理な場合もある。結局やることになるなら早めにやっておきたい、と思う。寿命まで逃げ切れるかの鬼ごっこになる緊迫感も好きじゃない。このマグマのように熱を持つ孤独感を、「昇華」するにはどうしたらいいか。それが、成果物であり、彼へのアプローチなのだろう。
reparenting。ずーーーーーっと母親の話を考えてきたが、不自然なほど登場しない父親。もう指がしんどいので大きく端折るが、語ることがほとんどないほど、あんまり何もなかった、という結論になる。「お父さんとは例えばこういうものです」というタイトルのキャンバスは、ほとんど白い状態で残されたので、俺はそこに「僕の思う最高のお父さん」を作った。「父性とは遺伝子をコピーすることじゃない。その対象の生命力を肯定し、背中を押し、独り立ちさせること」。無意識に、部活の後輩や、仕事の指導、時によっては上司でさえ、その対象にしてきたと思う。この数週間、初めて、意図的に、自分にむけている。「ねえ父さん。助けて。限界。話聞いて。」「おおどうした。聞くぞ。よくちゃんと父さんのとこまで来たな。偉いぞ。がんばったな。すごいぞ。どうした、何があった。なんでも言ってごらん。」
轟音と暴風の景色は続いているが、ガラスで隔てられたようにこの場所は静かだ。おそらく中心なのだろう。
エリート、心理的安全性における機能不全家庭サバイバー、セクシャリティとその「王道パターン」は無理、というトリプルコンボから来る孤独感。それをなぜ今の仕事に向けることができるか。どういうロジックなら、その3つの孤独、から、「ということでこの仕事にエネルギーを注ぎます」が自然な文章ね繋がるようになるのか。それをAIを使って死ぬほど労力をかけて作っている。
明日の俺の熱から生まれるものはなんだろう。
随分静かだ。否認を繰り返す友達の、ああこけるだろうな、ああぐじゅぐじゅになるだろうなと思う背中を、目を逸らさず、でも同時に、「逃げ切れるといいね。幸運を祈ります」という語彙を選ぶのは、俺の理想のお父さんなら、そう言ってくれると思うから。
俺らは今後どうなるだろうね。不自然なぐらい顔向きが変わらず、でも「当たるはずない」ぐらいわずかに舌を突き出して、早くなる息遣いと、もう白々しいほどの寝たふりから、飢えを感じさせるほど動き始めて、 果てた後も後ろから抱き抱えて寝るぐらいには理性が「あったはず」のお前が、"If I don't remember, that means nothing happened." と、もうほぼそれ自白じゃん、と視線をそらしながら上司との夕食で吐き出す。俺たちはどこへ行くだろうな。でもなんとか、あの時パンツを脱ぎだしたお前の決断は間違ってなかったと、思わせてやりたいんだけどな。そんな箱に入れてしまうような、嫌な思い出じゃないと思うよ。怖がりすぎだよ。そんな箱にしまってガムテープを貼ってふすまの奥に隠しておくほど怖いものじゃないよ。デスクに座ってるお前は可愛いし、あの夜のお前は可愛かったよ。ただそれだけだよ。それがいつか、お前に分りますように。good luck, babe.
12月
今日も一生懸命生きたかな。
必死に走ってきたこの道の上を
だからもう1日生きられる今日を
母さんと父さんがくれたから生きてる今日を
〇〇ちゃんがお姉ちゃんの今回の人生を
患者さんたちがたくさん死んでいったあとの世界線を
本当に欲しいものは大体手に入らない
手に入ったカードで勝負するしかない
でもその全てをふと忘れさせるような、あ、気になる、がある
一口飲んでみたいフラペチーノ、がある
その理屈で海外に留学して半年で同僚の実家にいく状態にまでなる
それは機能不全家庭で魔改造された適応能力かもしれないし、メンヘラママのケアのために身についた呪いの装備のWounded healerかもしれないし
人生は遠くまで行った人間が勝ちでもないし、速く走ったら勝ちでもない
五感だけが生きてることの証で、生きてる人間の特権じゃないかと思って
それが俺の病院で10年働いた人生観?かもしれなくて
もう少し一緒にいたい
もう1回しゃべりたかった
飯のクオリティなんてなんだっていいから、あなたと一緒にもう1回ご飯を食べたかった
ご飯とかお茶なんて、ぶっちゃけ水で薄めまくったセックスみたいなもんだろ
ママの機嫌なんて意味不明にふきとんで
自分の気分さえ不安定で
こんなに楽しくてもそんなものちょっと押せば崖から飛び落ちて死ぬような脆いものだとわかってるけど
だからこそどうしてもそれができる今が愛おしくて
ただのローテーターの学生に、指導担当の先輩が同僚にばちくそ自分のこと愚痴ってるとこ後ろで全部聞いて沈みまくってる子に、Even if you are not smart, I like you.とか言っちゃう
それで何このアジア人キモすぎるだろホモかよ、ってリスクを背負ってでも
あああのとき励ましとけばよかった・・・・って後悔するリスクをゼロにしたくて
そんな自分の優しさが嫌いじゃないていうか好き
だってあの時もっとじゃけんにしとけばよかったって思い出なんてほぼないけど、
もうすこだけ堪えて優しくしとけばよかった、あの時ぶちぎれなくてよかった、って思うことはあるもん
どんなに元彼がしょうもなくても、「00君に連絡しなきゃって一時帰国中5回ぐらい言ってたよ」って元彼の友達に言われたら、やっぱり寂しいけど笑っちゃったし
だって本当に願っても何しても挨拶もできなくなる日がくるもん
生きててさえ
脆い脆いママのニコニコを、健気にかきあつめて
人々がたまに思い出す何かを
俺はほとんど忘れずに生きていると思う
その切迫さのような何かが、
刺さる人には刺さるんじゃないか
「クリスマスも年末年始もなんの予定もないし、かといって一人でラボにいるの死にたくなるから、3-5時間ぐらい時間くれるなら、地元まで行くから一緒にタコス食べよう」が「同僚の実家に2泊してそのまま弟と3人で年越し5泊旅行」になったのは、
警備員のお兄さんが、「もちろんビザのサインのことなんてしらないけど、中見て、なんか助けになりそうなものがないか見てくるよ」って、
人生はゴミだらけだ。思い通りにならないクソばっかり。そんなのわかってる。でもどうしてもあまりにも美しいと思うことがたまにあって、どうしてもそれを忘れられなくて、生かしてもらえるなら、もう1日生きたいと思うのをやめられない。
イエスの誕生日を祝ってから1週間も経たない内に宗派も把握してない仏教のお寺で拝んで、その5時間後に友達と神道の神社にいくぐらいふざけてるけど、神様が自分をもう1日生かしてくれるなら、気になることがまだある。
そう思うと、1日の終わりに、「まだもう少しできた・・・・なんでこんなにいつも俺はバカなんだ!!!!!」と思うほど走り回るのをやめられない。
でもそうやって本当にぶっこわれたら、ロマンチックでもなんでもないからね。それはただの馬鹿だから。
でもこの焦りが。地震が明日来るのを俺一人だけ知っているかのような。
ああそうだね。そう、そういう感覚かもしれない。自分だけ、明日この場にいる全員が死ぬことを知ってるみたいな。
明日死ぬなら、もう1回あなたとしゃべりたかった。今日このあと死ぬなら、もう1回あなたとご飯が食べたかった。そんなことが多すぎる。生きるのは切なくて辛いことが多い。機能不全家庭だからなのか?全てはママの機嫌の不安定さのうんだ、過剰な神経生理反応なのか?
でも本当に、いつまでこうやって2人ともが会いたいと思えるかなんてわからないじゃんか。なけりゃないでどうとでも対処できるぐらいみんなしっかりしてんだから。
ねえだからやっぱり、間違ってなかったよ。今までのいろいろ。このペースで走り続けたら多分適応障害とか「走れなくなる」から、ペースダウンとか調整は必須だけど、
やっぱり責めれないよ。過去の自分を。わかるもん。もうちょっとだけなら無理できる。もう少し睡眠時間を削ればもう一人会える。もう少し無理すれば30分お茶できる。
でもまあ、ちょっと違うよ。調整いるって。
よかったね。人生、大切なものがいっぱいだね。それでも削ぎ落とさなきゃ。厳選したつもりだったけど、まだ減らさないといけないのかも。
「会えへんくなっちゃうかもしれへんけど、まあ、それはそれでしょうがないかなって、思うねんな」
10月
どのくらい期間が空いただろう。AIを使って考えを整理して、LINEやボイスメモ、友達とあったときにそれを話してフィードバックをうける、というやり方が自分の中で定着して1年ぐらいだろうか。
どうだろう・・・。日本を離れて4ヶ月になる。速いといえば速いし、まだ4ヶ月といえば4ヶ月。
地に足を。
大きな怪我をした。歯が欠けたので、完治というわけにはいかない。でも機能障害というほどではない、か・・・?ギリギリ・・・?いや見劣りはする・・・。
いつも少し背伸びをしてがんばってきた半生だった。と思う多分。ここでもうちょっと欲張っておけば、今しかなくて、ちょっと無理してどうにかなるなら、と。30代半ばという年齢が、今までのやり方で無理をするとこういう事故になりうるよ、と示しているのかもしれないが。5年10年先、今回の事故をどう振り返るのだろう。今はただ少し怖い。
少し無理をしている自覚はあった。テストが終わったら高熱を出すとか、イベントが終わるとぐったりして動けなくなってドタキャンするとか。そういうことはなかったけど。渡航して数ヶ月。もう何をどう考えても日々ちょっと無理をしている。どこかで風邪をひいて倒れるだろうと思いつつ、最大限気をつけようと思って、実際になんとか回っていた。
大きなイベントが9月立て続けにあって、それが終わってひと段落したタイミングでの、今思えば、小さな不注意が4-5個重なって起きたイベント。あまりに痛い代償とも思うが、もっと大ごとになるリスクはいくらでもあった。
向上心がいいといえば聞こえは良い。そして同時にちょっと傲慢で、ちょっと要求水準が高くて、ちょっと自分ならこのぐらいできる、と思っている水準が高い、とも言える。
ちょっと欲があるのはいい。身の丈をよく理解して身の回り手の届くところをきちんとしている人と同じぐらい、ちょっと欲がある人間は良い。見ていても面白いし、グループに一人いると刺激になって役にも立つ。
ただ、怪我をしがちだ。「いつか痛い目に遭うよ」とまで恨みを買わずとも、カーブで減速しきれずにはみ出るぐらいのことはあり得る。
全速力は出したい。だけど安全な範囲で。
あのバーベルが、首に落ちてもおかしくなかった。本当に腹の底から、そこを足元にして、人生とは。ミドサーの人生、あそこが終わりでもおかしくなかったと。謙虚さと、ミドサーなりの傲慢さと、それなりにがんばってきた半生からの強かさをもって。
2月
めも I'm free here. から 自由な道すがらで に変更
理想を叶えることが幸せではない、理想を追う時間そのものが幸福だった
漫画の中で出会ったこの言葉に痺れて止まない
よく言えば向上心が強く、悪く言えば強欲な私にとって、
母も姉も昔の恋人も、そして何より自分自身も、至らぬところだらけだった。今もきっとそうである。
それでも愛おしい。
理想通りではないことが多い。ほとんどがそうかもしれない。
でもそれを責める必要は全くない。
なりたいものがある、もっと良くなりたい、今よりも成長したい。
そう思いひたむきに試行錯誤をする姿に胸を打たれる。
昔ながらの友と酒を飲み飯を食い、重ならない個々人のエピソードトークを話し、
しかし言葉にならぬ一体感や価値観の共鳴をその合間に感じて。
それすらも最近は言語AIが言語化を手伝ってくれるのだから、
人生の味わい方は次のステージに達しているのだろうとは思うが。
うまくいかないことは多い。理想通りにならぬことが多い。
それでも自分を責める必要はない。家族を責める必要はない。恋人を責める必要はない。
理想を叶える時だけが幸せなのではない。理想を追う時間そのものが幸福だった。
昔ながらの友と語らう時間も、ひとり黙々と積み上げる時間も、振り返ればどれも理想を追う時間だった。
そして、動く限り新しい出会いがある。
思いがけず交差した縁で、歩く道のりの方向を少し変えることがある。
誰かの言葉が、ふと胸に刺さることがある。
今週の予定一覧の1つに元彼の友達とのご飯の予定がある。
あの日はそれでも今のどこかに続いている。
1月
ああ本当に、この1年は変化が大きすぎて、気持ちが追いつかない。
AIを使って大急ぎで考えを整理しても、それでもまだ、まだ、湧き続ける様に考えをまとめていかないといけない。いや、まとめたい。まとめたくなる、手放したくない、大切なものが、俺にとって大切なテーマが続々とある。
元彼がいなくなった。何か状況が悪くなり始めたことも察知できて、違和感や不安を打ち消したり迷いながらも時間はすすんで、当時それをどうすればいいか考えて考えて行動したけど、それでもゆっくりと、耐えきれない様に、関係は終わった。
それからも考え続け、言葉にし続け、あの時間を通して自分は何を見たのか。彼を通じて俺は何を見たのか。彼の中に何を見たのか。そして、彼は俺に何を見ていたのか。俺を通じて、彼は何を見ていたのか。
彼の弟は彼を自己中だと目を伏せがちに言い放った。彼はそれにショックを受けていて、俺は弟を慰めてあげたくなった。彼の友人は彼を宇宙人だといったり、落ち着きがなさすぎると言ったり、ADHDと言ったりした。彼の友人は口を揃えて、友達としては面白いけど、なぜ好きになるのかわからないよ、と同情する様に笑いながら言った。幸せなことだな、と思うのは、別れた後も、彼の友人が俺と直接会ったり話してくれることだ。
無邪気に衝動的に短期的に目まぐるしく目の前のことに感情の全てを向けて、たくさんの写真を撮って。生い立ちの情報を紡ぎ合わせて、彼の家族を自分の目で見て直接話して思った。「お母さんは、今だにあなたのことをいい人だって言ってる」。彼が生き残るために、もしかしたら、この家族が生き残るために、自己防衛のために生存のために、「ネガティブな感情に意識を向けずポジティブな感情に集中して、目の前の窮地の連続を楽しく乗り切る」というやり方を武器にしてきたのだろうと。
でも、窮地を脱するための応急処置を常習的な武器にし続けると、粗が出る。
ネガティブな状況が起きるにはそれなりの理由がある。「もう一度それが起きないためにはどうしたらいいのか」「なぜそういう気持ちになったのか」窮地を脱したあと、束の間の日常の間に、振り返って「たのしくない」ものにも向き合って、引っかかったところを1つ1つ解いていかないと、バランスは悪くなる。「大体楽しいけど、この状況になるともう必ず破綻する。修正できない」という大穴があると、長期の関係ではどこかでトラブルになる。きっと法律的な束縛や、子育てという共通の目標が、その窮地で崩壊を防ぐ守りになることもある。でもそれがない。ただただ2人が向き合ってチューニングを続けるしかない。もしくは子育てに匹敵するような何かを2人で作る。
ちはやふるを読んでいる。高校生が一生懸命かるたをしている。どんなに理想的な組み合わせも、1年おきにどんどん変わっていく。俺のこの1年は、まるでこんな1年の様だった。1年前はこの部屋のこの椅子に彼が座って、この角度で話してどんなふうに笑っていた。その数ヶ月後に同じ椅子に座る彼が目を伏せて別れ話をすることになるのも覚えている。
それでも停滞はしないのが俺のすごいところだなと思う。傷心しながらデートした人々はうまくいくことが多くて、その中から1人とデートを続けた。半年ぐらい経って、海外旅行に行って、クリスマスご飯を一緒に食べて、デートはおしまいになった。
AIで思考を整理する様になって、つくづくわかる様になった。俺には目指したいどこかがあって、そこに向かっているのが楽しいらしい。それが一番「燃える」らしい。元彼も、デート相手も、彼らの中に何を見出して、彼らの何を眩しいと思って、そして、
「俺もそれが欲しい」
と思う欲が何よりも強いということを。
そして、もう30半ばに近づくなか、全てを高水準にすることはもちろん無理な話で、それでも絶対に欲しいものはどれか、そして、「それ以外のものはもう考えない、結果だけプロの意見を丸呑みする」という手法が必要だということも。
俺はいつか子育てをするだろうか。
でも確かに、そうだなあ。人間関係は、こちらが最善手を打ち続けても、それでも半分は向こうに権限があること。本当にそうだ。
だから、Free childの無邪気な部分は、俺がたのしむ。そこは外注できない。正直であること、愛情をもつこと、わくわく面白いと感じるもの。
この白いジーンズは、友達が教えて来れたもの。この青いシャツは、店員さんが教えて来れた。この髪型は、美容師さんのおまかせ。この眉毛は、あの店員さんの提案。このコーヒーは、友達のプレゼント。
12月
そう、セルフセラピーを試みてるわけだから。
私が何の役に立たなくても、あなたは私を愛してくれますか?書きながら指が震えるような気持ちだ。思考がフリーズして削除したくなる。「ペン1つから、友人1人、親に至るまで、何かを求めて近寄ると思ってる。それは別に、一緒に居るとなんか楽しいとか、持ちやすいとか、無料で手に入ったとか、そんな程度でいい。でも近くにあるとか、近づきたいと思うというのは、何かしら理由はある。目的と言ってもいい。それを意識的にするか無意識的にするかは当然人によって違うし、利益を求めて近づくと人から嫌がられるというのはまた別の話だ」。
どんな道にもその道の苦難がある。親越えするというのも、何かしら話しきれない悲しみや苦しみがあるものだ、と思う。「親越えして苦労してる仲間」が欲しいけど、ついでに「所帯を持てない事情がある」「一心不乱になれる仕事がない」「自己管理が苦手」という条件も上乗せして欲しい。
早熟は、晩年の幼稚性のリスクファクターだ。子どもの時に「子どもらしい」経験を積まないと、大人になってからその部分の能力が未発達で苦労することがある。他の人がこけない場所でなぜ躓くんだろう?と思う場面に出くわす。
母親はいわゆる条件付きの愛情、というものだった。父親は無条件に愛してくれていたが、どこかしら無関心の要素があった。彼らにも事情はあり、彼らは彼らに出来ることをしていた。だから、誰も悪くない。悪者はいない。「誰にも敵などいないんだ」。苦労したのは確かだ。独特の、共有できない孤独を抱えた、そして今も抱えているのも、きっと事実だと思う。君は苦労をした。彼女に求めるものがあった。してほしいことがあった。足りないものがあった。寂しかった。悪者はいなかった。誰に謝らせても虚しいばかりだ。ペンギンに空は飛べなかった。ゴミはゴミ箱、本は本棚。無能は責めない。だって新幹線の中で幼稚園児がギャン泣きして、それを叱って責めて何になるのか。誰も悪くなかった。誰も悪くなかったけど、ずっと寂しかった。ずっと。それでも次の日は来た。笑顔は大切だった。悲しくて悔しかったりするけど、テストの点数評価とそれは別に無関係だった。大人になっても説明できない寂しさがあった。役に立たなくなければ、何かの条件を満たさなければ、立派な何者かでなければ、大切な誰かは俺のことを好きでなくなる。俺も誰かに何かを求めるように、相手も俺に何かを求めている。条件を満たさなくなったら、俺は誰かを失う?
自分が誰かを愛する経験を経て、少しずつ理解している。好きになるものは、残酷といっても笑えるほど、所詮自分には選べない。個体として不足している何かを補填してくれるなにかに、致命的に魅了され、感情のコントロール権を失い、成すがままに恋に落ちる。それがスポーツであれ異性であれ文房具であれ、「好きになる」とはそういうことだ。
綺麗だなと思う絵、ふと繰り返し見たくなる写真、出会うと笑顔で挨拶をするのが苦じゃない同僚。恋せよ乙女、人生は短い。
君は寂しい。誰も悪くない。せめて悪者がいて、そいつを責められたらまだ気が楽になるだろうに。君は悪くない。そして同時に、もう成長しなくちゃいけない。しがみついていればジリ貧になる。君が悪くない様に、彼らも悪くないのだから、もう、誰にも落ち度はない。君に「事情」があるから、少し手を抜いていい理由にもならない。少し甘えてもいいわけはない。ちょっと優遇してもらえるわけはない。やることは、やってもらわないと。
そして、ここまでたどり着いた過去の全てのあなたを忘れないで。感謝するかどうかは任せるけど、まあ感謝したくなるでしょう。忘れないで、絶対に。食いしばって、誰も悪くないからこそ、やり場のない悲しみや孤独を抱えて、押しつぶされそうになって、泣いてもその理由も説明できなくて、同級生にも親にも兄弟にも言えない状況で、それでもテストはやってきて、その中でも戦い続けて、くじけそうになって、立ち上がってまた戦って。そうして戦い抜いてきた中で、今がある。今の君が戦う時に使う武器は、過去の歴戦のあなたによって得られてきたものだ。それを忘れてしまう。人はとても簡単にそれを忘れてしまう。でも必ずたまに思い出して。必ず思い出して。床に臥せる時、いろんな人の顔を思い出すと思う。でもそれとは別格の何かとして、過去の自分を思い出す。あなたはそう思える人生を歩んできてる。それを忘れないで。戦いの場に身を置き続けて、傷つきながら戦い続けている戦士である過去のあなたを忘れないで。
そしてどうか笑って。健康で、笑顔でありますように。
8月
またすっぽ抜けたかと思ったが、7月は書いていた。良かった良かった。オンラインメモに小まめにメモをするようになってから、また音声録音でアウトプットの場を持てるようになってから、以前ほどここに張り付かなくなった。ただ、オンライン、①月に1回の文章、白紙から書き出す、という手法でないと整理されない心もある。この場所はこれからも訪れたい。
さて、随分と暑い日々が続いている。ずっしりとした課題に取り組む時間が多いので、日の下に出る時間は短いものの、週末や夜に外を歩くと、日差しが痛いとか、不快指数は湿度と温度の掛け算とか、慣用句的に耳にする言葉が、まさにその通りだなと感じる。
余裕がないとはいえ、せっかくだから夏らしいイベントを1つぐらいは体験したいもの。今年は幸い人に誘われて、花火を見に行ってきた。新幹線を使って1時間半かけて移動して、彼らが確保してくれた場所に100均のレジャーシートを敷いて、台風の後の空に、次々と花火が上がるのを眺めた。光と時差で届く音。爆発音が体に響く。コンサートホールでライブを聞くときや、低音がしっかり出るスピーカーでジャズを聴くときに感じる「イヤホンでは感じられない音体験」を実感する。ああ、本当にきれいだな、一緒に見たい人と一緒に見られて、幸福なイベントだな、と感傷的になった。
今度の恋人は、今までで一番しっかりしている。立派な仕事をしっかりやっていて、健康的な人付きあいの幅も広い。シンプルに優秀な人材だなと思う。さらに今回は相手に好かれて始まった。自分の中にない致命的な何かを、俺に見出したのだろう。彼は素晴らしい男だから、俺の横でもっと素敵になって、それこそ俺を追い抜いてしまうだろう。でももう、こうなっちゃったから、俺に出来ることは、ただただ、これまでの経験のすべてをもって、愛を注ぎ続けるだけだ。
半年以上ゆっくり進めてきた報告書の束、もとい山が、1つ節目を迎えた。まだ完遂してないのだが、折り返しは優に超えたと言っていいのではないだろうか。引き続き、山の砂をかきだすように、ゆっくりと削っていく。
それにしても、飲み会の予定1つ増やす気が起きない日々だ。職場の人間と脱出ゲームなんて、半ば強制的に誘われなければいくわけがない。でも行けば楽しい。本当、課題の進捗は、自分のペースで管理したいものだが、なぜこんなに難しいんだろうな?まあ、この文章を書いてるのが、日付を超える前の時間帯ということは、少しは成長したということなんだろう。何せ、自分の最優先事項がそれらなのだから、それが片付いてないのに新しいイベントを増やそうと思えないのだ。
先日、とても素敵な言葉を頂いた。健康であれば前向きに進めますし、笑顔で明るければ周りは安心できます。あなた方はまだまだこれからです。何回読んでも、何度読んでも、少しずつじわじわと沁みる言葉だ。迷ったらここに帰ってくればいいと思える、本当に素敵な言葉だと思う。自分が、誰か愛する、たとえ自分が側にいられない状況になっても、それでも愛おしいと思ってしまう何かに求めることは、きっとその通りだ。健康でありますように、ちょっとご機嫌でありますように。そしてそれが、自分の事を心から愛する誰かが俺に期待することだし、自分自身にかけたい言葉だ。あなたが健康で、少し楽しそうなら、どれほど惨めでもいい。あなたが大好きよ。