8月

 またすっぽ抜けたかと思ったが、7月は書いていた。良かった良かった。オンラインメモに小まめにメモをするようになってから、また音声録音でアウトプットの場を持てるようになってから、以前ほどここに張り付かなくなった。ただ、オンライン、①月に1回の文章、白紙から書き出す、という手法でないと整理されない心もある。この場所はこれからも訪れたい。

 さて、随分と暑い日々が続いている。ずっしりとした課題に取り組む時間が多いので、日の下に出る時間は短いものの、週末や夜に外を歩くと、日差しが痛いとか、不快指数は湿度と温度の掛け算とか、慣用句的に耳にする言葉が、まさにその通りだなと感じる。

 余裕がないとはいえ、せっかくだから夏らしいイベントを1つぐらいは体験したいもの。今年は幸い人に誘われて、花火を見に行ってきた。新幹線を使って1時間半かけて移動して、彼らが確保してくれた場所に100均のレジャーシートを敷いて、台風の後の空に、次々と花火が上がるのを眺めた。光と時差で届く音。爆発音が体に響く。コンサートホールでライブを聞くときや、低音がしっかり出るスピーカーでジャズを聴くときに感じる「イヤホンでは感じられない音体験」を実感する。ああ、本当にきれいだな、一緒に見たい人と一緒に見られて、幸福なイベントだな、と感傷的になった。

 今度の恋人は、今までで一番しっかりしている。立派な仕事をしっかりやっていて、健康的な人付きあいの幅も広い。シンプルに優秀な人材だなと思う。さらに今回は相手に好かれて始まった。自分の中にない致命的な何かを、俺に見出したのだろう。彼は素晴らしい男だから、俺の横でもっと素敵になって、それこそ俺を追い抜いてしまうだろう。でももう、こうなっちゃったから、俺に出来ることは、ただただ、これまでの経験のすべてをもって、愛を注ぎ続けるだけだ。

 半年以上ゆっくり進めてきた報告書の束、もとい山が、1つ節目を迎えた。まだ完遂してないのだが、折り返しは優に超えたと言っていいのではないだろうか。引き続き、山の砂をかきだすように、ゆっくりと削っていく。

 それにしても、飲み会の予定1つ増やす気が起きない日々だ。職場の人間と脱出ゲームなんて、半ば強制的に誘われなければいくわけがない。でも行けば楽しい。本当、課題の進捗は、自分のペースで管理したいものだが、なぜこんなに難しいんだろうな?まあ、この文章を書いてるのが、日付を超える前の時間帯ということは、少しは成長したということなんだろう。何せ、自分の最優先事項がそれらなのだから、それが片付いてないのに新しいイベントを増やそうと思えないのだ。

 先日、とても素敵な言葉を頂いた。健康であれば前向きに進めますし、笑顔で明るければ周りは安心できます。あなた方はまだまだこれからです。何回読んでも、何度読んでも、少しずつじわじわと沁みる言葉だ。迷ったらここに帰ってくればいいと思える、本当に素敵な言葉だと思う。自分が、誰か愛する、たとえ自分が側にいられない状況になっても、それでも愛おしいと思ってしまう何かに求めることは、きっとその通りだ。健康でありますように、ちょっとご機嫌でありますように。そしてそれが、自分の事を心から愛する誰かが俺に期待することだし、自分自身にかけたい言葉だ。あなたが健康で、少し楽しそうなら、どれほど惨めでもいい。あなたが大好きよ。