同じ刺激には飽きる。しかし飽きるかどうかは自分で決めるもの。

人生で××が一番大事、という言い方は安直だと思うから使わない。しかしそう言われる××は確かに日々において重要であることは間違いない。

タイミングが大事という話。今しか出来ないことがしたい、という表現は、期間限定アイスクリームに共通するものがあるだろう。

脳は同じ刺激を加え続けると反応しなくなる。睫毛反射もそうだし、パーキンソン病治療におけるL-Dopaもそうだし、免疫システムもそう。
飽きるのだ。違うものを求めるのである。恋人もそう。日々の生活にもそう。なにか毛色の違うものがないと飽きて退屈してしまう。

大抵人々は環境に文句を言ってしまう。「変わったことがないから退屈なのだ」という。たしかに環境の方が人生80年間かそのぐらい変わり続けてくれれば苦労しまい。
しかしとりあえず現状はそうなっていない。東京などの都会にいると退屈しないのは、自分が何もしなくても街が動いてくれるからだ。
動き続ける街を見ることで自分も新しいものを探す活力が湧く。そういうこともあるかもしれない。

退屈そうな環境においても楽しそうにしている人々がいる。以下に関連資料を載せる。
ユダヤ強制収容所から生還した人たちの健康調査を行っていたアントノフスキーが人間のストレスに対処する能力(sense of coherence:SOC)の要素として、
(1)自分の置かれている状況がある程度理解できる 把握可能感、
(2)「なんとかなる」と思える処理可能感、
(3)「やりがい」のように、つらいことに対しても何らかの意味を見出せる有意味
を挙げています。鈴木氏は、「これらの要素は、困難に直面して乗り越える経験をすることで身に付いていくもの。つまり、人生経験によって培われるもの」と解説します。

処理可能感は適度なストレス下で成功体験を積み重ねることで高められる。少し背伸びをしてチャレンジして、もしそれでも届かないと思ったら周囲を利用することが重要。
有意味感を鍛えるのが一番面白い。意味というのは行動しなければ生まれない。私には関係ない、こんな会議しても意味がないと初めから消極的になることをやめ、
まずは積極的に参加するところから始めるべき。どんなに意味がないと思う会議でも、参加して発言する。なにか自分の爪痕を残すことで、有意味感は大きく高まる。

とある。把握可能感はどうやって成長していくのかはまた別の話として。

有意味感と表記されているこれ。老人や田舎の人間にもたらされるのはこれだろう。現代日本人の自殺理由もそうだろうか(第一位は健康問題だそうだが)。
「自分になんて何の意味もない」というよりは、今回はこんなの何の意味もない辛い、となるわけか。まあ日常にもある話よな。外来見学なんて意味ない。
意味を感じたり生み出したりするのが知恵というものだ。ま、それでも見学というのは退屈になりやすい代物だけど。

最初に戻る。人生で××が大事という話だ。自分はその中の一つにバランスを挙げたい。しかし理由を体系的に説明出来ない。具体例を交えながら解説しないと、
あまりにも抽象的過ぎて説明になっていない。

 

最近思うが、感情というのは自分で決めるものじゃないだろうか。虚しいとか、意味がないとか、やりがいとか、嬉しいとか幸せとか、そういうものは、自分で決められるものじゃないだろうか。だってドーパミンとかセロトニンの作用なんだろう?恋人とハグしている時の幸福感と、コカインを吸って最高にハイになっているときの高揚感に、持続時間以外の相違があるだろうか?いや、この2つは機序が違った気がする、適切な例じゃなかったな。こんなレベルの人間の発言ではないけど、まだまだ勉強不足だな。