10月

 ウエストランドという芸人が昔から好きで、去年はThe Manzaiで決勝に進むから驚いてしまった。彼らのぶちラジというラジオ?で、秋なんてない、夏の日と冬の日が入れ替わり立ち代わり来るだけだ、と言っていて、言われてみると、日によって気温はバラバラで、たまに半袖一枚とか長袖一枚でちょうどいい気温(20度ぐらい?)もあるけど、大体は寒かったり暑かったりだよな、と思う。

 あれをパワハラと呼ぶか、難しいけど、質問したら怒られ、早めの段階で提出したら出来が悪いと怒られ、しかし一人の力で作れるものには限界があり、通常より長い時間をかけて提出すると次はサボらないでくださいと返ってくる。そりゃしんどい。関係性が悪くなるから質問も出来ない。どんなものを作ってほしいのか共有出来ないから当然レスポンスは遅くなるし打ち返す物の質も下がる。時間がかかるくせにクオリティが低ければ当然機嫌が悪くなる。そこから先はひたすら悪循環だ。

 抜け出す方法がいくつかはあるかもしれない。まず、お手本を集めること。お手本をもらうのは直接顔を合わせたタイミングで「突然で申し訳ないんですけど・・・」と話を切り出すのが一番スムーズに話が進む印象だ。「ああ、いいよ。そこのパソコンで探そうか」と言ってもらえる。忘れられることもないし催促する気まずさもない。お手本を複数見ていると、それぞれから抜粋や模倣(響きが悪い言葉か?)、真似や学ぶことがあるので、少しでもクオリティが上げられる。

 本当は、これどうやって書いたらいいかな・・・?と親身になってくれる人がいるのが良い。一人はいる。しかしそいつがめちゃくちゃに優秀かつ優しいからこそ感じるが、この頼まれ方は負担が大きい。しかしそう思うと、上司にはその負担を一手に担わせているとも言える。

 そう、分かっている。彼に悪意はないことは。このぐらいの言い方の不快感は、過去に彼はもっと理不尽で強いものを食らってきただろう。でも辛いものはつらい。しかし誰のせいに出来るものでもない。かといって自己嫌悪することは慰めになっても問題を解決してくれない。学び真似びは繰り返すが、作れるものにある程度限界はある。自分で自分を追い詰めると極めて良くない展開になることは察している。だから、いざとなればここから離れることを、私はこの先もずっと私に許そうと思う。

 この1か月の変化。夜中に五月雨に来る上司からのメールに精神的限界を感じ、夜なのに先輩の元へ相談に行った。やめてもいい、という許可は先輩にも、さらに上の上司にも言われた。その上司に面談というか話をしに行った。最低限の形になるところまではやりたいと思っている、もう一度やり取りに限界を感じたら申し訳ないが辞めさせてくださいと話した。周囲の近しい人々は、パワハラ上司が私以外の案件でも反感を買っていること、精神的にキャパオーバーなのか荒れていること、というか一刻も離れるべきであり、業績的にもこの苦痛に見合わないと、広い意味で味方してもらえた事が多かったのだろう、恐らく。そうしている内に、私の部署異動の時期が来て、接触時間が減ることになった。

 私の知らないところである程度話は上の方まで伝わったようで、上司2人が、件の上司に何かアクションを起こしたらしい。身の毛がよだつような、労いのメールが届いた。「私は怒っているつもりはありませんでした」との文面であった。これを打ちながら思う。社会人として続けていくには、強く、時に鈍感に、感情をシャットアウトすることは必須だと思う。

 なんにせよ、そもそも取り組んできたプロジェクトそのものがイマイチと評判だった。予定のお披露目の準備はひと段落したので、それですべて終了にしたかった。

 たまたま、大ボスの前で進捗状況報告プレゼンをする担当だった。プレゼンをした。プレゼンそのものには大きな気負いはない。やったのだから、結果を話すだけだ。更なる発展は望めないので、別のプロジェクトも検討します、と締めくくった。大ボスの何に触れたかはわからないが、翌週、立場のある男ならではのド級の貫通力を持った、他社への協力依頼メールが送られた。CCに自分の名前が入っていることに震えた。昼飯の味が何もしない。まず、これを直属の上司が見てどういう感情になっているか想像もしたくない。私を責められても困る。恩知らずな物言いだが、私は断じて依頼していない。あのご立派な御仁にこんなパワープレイを依頼できるほど恥知らずではない。私の動揺などもちろん関係ない。大親父が複数他社のボスに連絡して「やる」と言っているのだ。やるかどうかを悩む選択肢は全くない。そして本来、これは極めて喜ぶべき事柄なのだ。諸先輩や同級生が労力の果てにつかむであろう複数社でのプロジェクト。自分如きがねらって担当できる案件ではない。大親父の気まぐれかなにかは知らないが、尽力するに迷いなしの場面だ。もちろん私は震えた。怯えている。動揺していることを自覚して悲しんでいる。落ち込み上手である。

 社会人1年目の教科書、という本があった。最近は流行っていないのだろうか。頼まれたことはやりきる、60点でいいからまず早くレスポンスする、面白くない仕事はない、が3原則とされていた。今でもそうだろうと思う。私は自分の中では65点ぐらいのものを早めにまず送ったら、こんなクオリティの低いものを二度と送るなと言われ、初手で崩壊した。

 こんなブログだからこそ書こうと思うが、HSPのチェックリストをふと見てみると、まあ、あてはまる。繊細さんというやつである。しかしどうして、「私は繊細さんです」と明言してくる人物は警戒してしまう。煙たく思う。それは例えば、「私は幼少期に暴力を受けたトラウマがあります」と質問していないのに伝えられる気分と似ていると思う。それは気の毒に、もしくは、大変でしたね、とそりゃ思うけど、あなたはその情報を伝えることでどういう展開を想像しているんでしょうか、と聞き返したくなる。みんなでサッカーやろうと言って集まっているところに、「僕は交通事故で右膝を損傷して走ったりボールが蹴れません」と言われたら、うん、じゃあ、とりあえず、サッカーは一緒に出来ないし、しない、ってところは、合ってるよね?と言いたくなる。それわざわざ言います?俺らに何かしらの罪悪感を期待したり、サッカーしないことを希望してます?と聞き返したくなる。必要以上に長い段落になった。

 繊細さん、HSPである。対処法。案件は絶対に抱え込みすぎない。敏感なら、それを活用する。見ていて気持ちがいいもの、聴いて心地よいもの。快感も人一倍敏感なのだから、音や視覚や触覚、癒しの感覚も敏感に感じ取って楽しむのである。道理で、自分がひっきりなしにイヤホンを持ち歩いて、耳栓代わりのノイズキャンセリングにしてみたり、音楽を聴いたりするのか、しっくり来てしまう。

 書くことは、いつだって癒しだ。中学生のころから、もしかしたら小学生のころから、書くことは癒しだった。自分の中のものが整理されて落ち着くのもあるし、自分と対話しているようで落ち着くのだ。ここに書いたこともあるだろうか、オードリーの若林のエッセイ本で、僕は僕と話していた、という一説があり、あああああわかるうううううと思った。今でも思う。素敵な友人はいる。いろんな友人に助けられている。しかし、己自身は、いつでも話し相手になってくれて話を聞いてくれるという点で、頼りになる。

 さて、このプロジェクトが本当に動き出したら、どうなるんだろうか・・・。