年を取るごとに時間の流れを早く感じてしまう

このメカニズム、しっくりくる理屈はないのだろうか。

 

気づけば12月も中旬。2015年も終わりが間近になってきた。早かった、様な気もする。年を取ると一年を早く感じるとよく言うが、自分はこれに抗っていきたいなと思うものだ。まあ、甥に抗うというのは実に不自然ではあるが、不自然の定義もないのだ、構うまい。

 

時間の流れを早く感じてしまうのはなぜだろう。記憶力が衰えて、何があったのかを忘れてしまうからか?もしくは記憶する価値のあるイベントがなかったからか。印象的な事がなかったという事だ。そう考えるとしっくりはくる。「初めて」というのはよく記憶に残るものだ。特別だからだ。しかし大人になるにつれて、初体験というものは減っていく。慣れ親しんだものに囲まれる日々というのは独特の心地よさを持つものだ。安心感、home感。家でくつろいでいる穏やかさだ。しかし安心は過ぎれば退屈に変わる。

 

自分は今退屈していないだろうか?安心という快感は生物的に余程強力なのだろう、はっきりと意識的に考えないと、日常に変化がないことになかなか気が付けない。日記やブログはそういう意味では役立つだろう。1週間前に自分が悩んでいたこと、感じていたこと、先月の自分の心を占拠していた事柄を私はそう簡単に思い出せない。しかし文字に残しておけば、振り返ることが出来るわけだ。しかも紛れもない自分が残した言葉である。

 

新しい事に挑戦する気持ちというのは大事だ。適応や慣れるという事は、ある程度のレベルで必ず社会的生活において必要となる。「もし今何のしがらみもなければ、来週死ぬとしたら、私は何がしたいだろうか?」という問いは定期的に持ち上がるべきだ。やる時間がないなんて答えはあり得ない。