旅行について

旅行をしてきた。友人と、温泉旅行。2泊3日。

自分は旅行をするのは割合好きである。海外旅行も好きである。それと同時に人と旅行を楽しむのは難易度が高いなと思っている。相当に気が合うもの同士、というか旅行に対する価値観や認識、旅行を遂行する能力に依存するなと考えている。(これらは何も旅行をするに限った話ではないかもしれないが)

 

自分は旅行に何を期待しているか。非日常感。珍しい食べ物。偶然他人と小話をする機会。珍しいものを見る。異文化を経験する。誰かと旅をしているのであれば、この感情と経験と共有できる友人が自分に入るという幸福感。

それこそ、確かに「旅は人生」なのかもしれない。今列挙したことは、人生に期待している事とよく似ている。人と出会って話を楽しむ事、今まで見たことのないものを見たり、感じたことのない感情を味わうこと。

 

この時期、旅行の計画から実行まで、旅行がやたら生活に登場するのだが、旅行というのは本来難易度の高い娯楽だと思うのだ。旅行を契機に不快な思いをしたりさせたりするのは、正直嫌だなあと思ってしまうが、難しいなりに楽しんでいきたいなと思う。

社会人になるのか、財布を新調した

勉学が一段落した。まだ結果ははっきりと分かっていないが、ちゃんと成功していれば、次の段階は社会人になる。大学生であった今までとは、人物評価の項目が少し種類が変わるだろう。

いよいよ社会人になるのか、という思いは当然ある。というか一種の焦りのようにじわじわと実感を帯びるようになった。催促スピードで来てこの年になるのか、と少しの驚きすらある。

それと同時に、一体何のためにそんな焦りを感じているのかとも思う。この感情は何から生じるものなのか。その理由として、自分はかなりパーフェクトライフ思考が強いからだと感じている。人生はこうあるべき、順調であるべき、そんな思いが強い。順調に来ているはず、順調なはず、問題ないはず、そんな事を気にしてばかりいる。

人生において、楽しいに勝る価値基準はない、という結論をこの数年で出していたが、やはりそうとも限らないな、という段階に来ている。

 

城とドラゴンについて以前書いていた。しばらくやめていた時期もあったが、今も続けている。

城とドラゴン

昔からゲームは好むほうだ。以前記事にもしたが、城とドラゴンというスマホゲームをしている。

久しぶりに真剣にこのゲームにはまっている。と言っても無課金領域だが、それも縛りの一つであろう。

 

なぜこのゲームには熱心に取り組んでいるのであろうか、というのが自分の中の疑問である。このゲームは対人戦だ。やはり勝つと楽しいという思いがあるのだろう。競争社会には疲れているものの、打ち負かすことは楽しい。

また、幾人かの友人もこのゲームをしている。そのため、顔も性格も人となりも理解している彼らに、負けたくないという思いがある。このゲームは頭を使う。このゲームで勝てば、なにか柔軟な賢さというか、頭の良さを証明されている気分になるのだろう。戦略などもせっせと考えてしまう。

年を取るごとに時間の流れを早く感じてしまう

このメカニズム、しっくりくる理屈はないのだろうか。

 

気づけば12月も中旬。2015年も終わりが間近になってきた。早かった、様な気もする。年を取ると一年を早く感じるとよく言うが、自分はこれに抗っていきたいなと思うものだ。まあ、甥に抗うというのは実に不自然ではあるが、不自然の定義もないのだ、構うまい。

 

時間の流れを早く感じてしまうのはなぜだろう。記憶力が衰えて、何があったのかを忘れてしまうからか?もしくは記憶する価値のあるイベントがなかったからか。印象的な事がなかったという事だ。そう考えるとしっくりはくる。「初めて」というのはよく記憶に残るものだ。特別だからだ。しかし大人になるにつれて、初体験というものは減っていく。慣れ親しんだものに囲まれる日々というのは独特の心地よさを持つものだ。安心感、home感。家でくつろいでいる穏やかさだ。しかし安心は過ぎれば退屈に変わる。

 

自分は今退屈していないだろうか?安心という快感は生物的に余程強力なのだろう、はっきりと意識的に考えないと、日常に変化がないことになかなか気が付けない。日記やブログはそういう意味では役立つだろう。1週間前に自分が悩んでいたこと、感じていたこと、先月の自分の心を占拠していた事柄を私はそう簡単に思い出せない。しかし文字に残しておけば、振り返ることが出来るわけだ。しかも紛れもない自分が残した言葉である。

 

新しい事に挑戦する気持ちというのは大事だ。適応や慣れるという事は、ある程度のレベルで必ず社会的生活において必要となる。「もし今何のしがらみもなければ、来週死ぬとしたら、私は何がしたいだろうか?」という問いは定期的に持ち上がるべきだ。やる時間がないなんて答えはあり得ない。

「意識高い系」の何が嫌いなのか。

意識高い系の人物、事柄、イベント、行動、物体を見るとイライラする。不愉快になる。気分を害される。茶化したくなる。攻撃したくなる。批判・分析したくなる。その理由は何だろうか(または何を目的にその行動を取るのか)。

この不快感は嫉妬に関わっている感覚だ。羨ましい、少なくとも「俺もそれやりたい」という感情はある。「しかしみっともないしダサいしかっこ悪いと思うからやらない」という行動だ。俺が我慢している事を自信満々躊躇いなく楽しんでSNSで自慢までしている風景に腹が立つわけだ。長期的に見て勝つ負けるがあるかは保留しておく。

雑誌通りのお洒落ファッションに身を包んでスタバでマックで仕事をする。

 

しかし「意識が高い」にたどり着く道中を意識高い系というのではないかと思うのだ。形から入っているが、それも上達の常套手段の一つだ。方法が目的になってしまう人が大多数だから、彼らの9割は意識高い系、というかイタい人で終わるが、彼らの1割は確かに意識の高い有能な人物になるだろう。

 

Twitterで見かけた文章引用。

「意識高い学生の嫌いなところは、引用しかしない話の薄っぺらさ、知識を身に纏って強くなった気になる弱さ、有益な人間を選び取ろうとする浅はかさ、誰しも生き抜いてきた人生があることを知らない無知さ、それらを認められない無能さなどです。byやむ」

エロ、グロの使い方とは。

日本とアメリカ文化を比較すると、アメリカ文化の方がエロやグロの要素を作品に多く盛り込んでいる印象がある。

Maroon5のanimals。クラブミュージック。

刺激が強い事、成人向けにすることで「大人の魅力」がアピールできること、多くの人間に(特に活動的な人間に)理解されやすい要素である事。

弊害は。刺激が強いものが面白い、というのは味が濃いものが美味い、と言っているようなもので、乱暴に言うとひどく頭が悪い感じがする。迫力と派手さ「のみ」をアピールしているものは、知的さを感じさせないし、品も絶妙な加減やメリハリも感じさせない。同じように色気に欠けている。大人アピールをしようとしているのに色気に欠けるという矛盾。

しかし粗野さ、乱暴さ、論理や道理に無関係な暴力的な勢い。そういったものが強さの象徴となって人を魅了するのは理解できる。

 

男について、治安が良い国では草食系、優しい、コミュニケーション能力に長けた男がモテて、治安が悪い国ではゴリゴリマッチョ、ガタイが良い、引っ張っていってくれそうなパワフルでいかにも強そうな人がモテる傾向があるそうだ。治安が良い地域では腕力や物理的な強さは不必要で、平和なコミュニティの中で円滑に調和を取る能力が高く評価されるそうだ。納得は行く。

 

Maroon5のPayphoneのミュージックビデオ。カップルの男が暴力沙汰に巻き込まれて傷だらけの状態で女に電話をかける。なぜこんな状況になっているのかはよく分からない。映画のクライマックスみたいなシーン。アメリカっぽいなあ偏見かなあと思っていたが、非常によく似た構成をEXILEの二つの唇で見た。外国人カップルが倉庫に手足を縛られ捉えられていて、それをEXILEポリスが助けに来て銃撃戦が始まる。ストーリーは完全に謎。つかまってるのイケメン美女だしもう全然分からない。「大人っぽい」雰囲気設定は盛りだくさん。

アジアはやはり欧米を意識することは多いのだろう。特に韓国は強いのだろう。K-Popを聞くと、クラブミュージック調の曲の多さにJ-Popとの違いを感じる。化粧の様子や、女性は露出も多い。性的アピールとかフェロモンむんむん強調もすごい。アメリカの人気曲ランキングであるBillboardの上位50位を聞くと、ラップとかクラブミュージックとか重たい雰囲気の曲が非常に多くて驚く。「力」をアピールする感じだ。俺は強いんだぞ舐めんなよみたいな。国によってこうも違うものかと思う。イギリスのランキングはもう少し雰囲気が違った気がする。

 

追記:Maroon5のPayphoneのMV、しっかりストーリーは描かれていた。ボーカルのアダムは銀行員で、職場に銀行強盗が襲撃して、銃撃戦になるという話だ。知識を増やそうとすると先入観がその10倍ぐらい膨らむのがなんとも浅ましい。イチローがインタビューで「年を取ると身体に脂肪がつく。これはなんとなる。でも精神的にも脂肪がつく。これはとれない。なかなか落ちない。」と言っていたのを思い出す。実にその通りだと思う。だからこそ大人は精神的に安定しているのだろうが、つまるところセットなのだろう。安定と頑固。

お金の使い方

Expediaでアメリカまでの往復料金を調べたところ、12月頭だと往復8万円だ。燃油サーチャージとかが入るからもう少し高くなるのだろうが、アメリカまで往復10万円で行けるんだなと思った。

日米関係が悪くなったり、戦争だの紛争だのが発生するとこうはいかなくなるのだろう。

 

異文化の環境でポツンと立ち尽くす雰囲気は嫌いではない。慣れない見知らぬ状況に1人で佇む感じは悪くない。新しいゲームを始めた時のような、ここの世界観はどんな感じなんだ??という高揚感がある。勿論不安もある。

読みかけの本の続きを読もう。