広島にオバマさんが来られた

「1年前に書いた記事です」という内容でhatenaブログからメールが届いた。勿論迷惑メールではなく本家からのもの。このブログを勢いでなんとなく立ち上げてから、1年が経つのだなという事に少なからず驚きを覚える。

 

自分は記録をすることが好きなようだ。自分が何を考えているのか、すぐに把握しきれなくなってしまうから、とにかく書き起こしたり整理したくなるらしい。

 

自分は感情的な事を記録することが多かった。事実の記録がない感じだ。感情の吐露という感じだ。しかしそれらは読み返した時にあまり役立たない。実用的でない。ということで、ここ最近は実際に何があったのかの事実記録も努めてするようにしている。

夏目漱石の行人を読んでいる。

夏目漱石の行人を読んでいる。つまり読み終わってはいない。今中盤を超えたあたりだ。集中力がなくなったのか、今の心境にあまりマッチしないのか、とりあえずページをめくりながら読み進めている感じである。

 

学の高い長男、放蕩という程ではないが平凡な弟。長男には嫁がおり、長男は嫁からの愛情を確信できず、むしろ嫁は弟を好いているのではないかと思い、弟に嫁と2人きりで外出してその真偽を確かめて来いという。

 

知性というものにどのように上下を付けるのかは分からないが、例えばIQで知能の高い低いを測れるとして、IQが20違うと会話は基本的に成り立たないそうだ。語彙力や、論理展開のスピード、理解力に差があるために、話していてどんどんずれたりぎこちなくなってくるらしい。

他より秀でるという事は、優越するということで、それに伴う快感もあるのだろうが、孤独な心境や、感覚を共有出来ない寂しさも付きまとうものだと思う。センチメンタルな自己陶酔ではなく、「集団から外れた個体」には当然付きまとう要素だからだ。

 

人間の三大欲求は食欲、睡眠欲、性欲とよく言われる。最後の性欲に関しては、社会的欲求と入れ替えても差し支えないという話を聞いたことがある。承認欲求、賞賛を欲する心、SNSのイイネの様なものだ。他人から価値を見出され求められるという快感だ。

自分が愛されているかどうかなど、正直刻一刻と変化しすぎて、その瞬間瞬間は把握できるようになっても、経時的に追う事は不可能だ。自分の思い通りにならない、という事を面白いと思う思考回路に設定しないと、イライラすることは多そうだ。土台、一体何なら自分の思い通りになるのだ、という話である。

 

惰性期間に入ってきてしまったし、この本は一気に読み終えてしまいたい。次はどの本を読もうか。

無印良品でニットを購入した

久方ぶりといえど、1か月ぐらいぶりの更新だ。新社会人になって、新たな土地で働き始めて、それなりに苦労しながら日々を過ごしている。だが、本来はもっと負荷の高い日々でもおかしくないような気もするし、なぜ負荷が高い方が良しとされてるんだ?という気持ちもある。

結論は正しいが表現が乱暴だったり経緯が理不尽な注意も幾多受ける。どんな言い口であれ指導してもらえるというところが最低限度。言ってもらえる事自体に感謝。そういう気持ちも確かにある。だが、その指導に、個人的な鬱憤晴らしや、ストレス解消や、不必要なイビリを混ぜられる事がある。そういう事に納得いかない時がある。お前の幼稚さをどさくさに混ぜてくるな。そう思う時もある。まあ、それ以上どうこうできる話ではない。この理論を上司に話すわけにもいかない。「教えてもらっている内容のみに目を向ける。言われ方は全て些事な事柄として影響されない。まして落ち込まない」というほかない。

 

さて、無印良品でニットを購入した。自分はシャツばかり着る傾向にある。襟なしの服装も少し嗜みたいと思っていた。明るいブルーのニットだ。暖かくなってきてしまったが、着る機会があれば気分転換に着て外出したい。

 

新社会人の初めの1か月。鬱になりそうなぐらい落ち込む目にあることで、学生気分も抜けて、しっかりとした社会人になれる。そうだろうか。私はあまりそういう言い方が好きじゃない。だが他者から自分では追い込めない辛さまで追い詰められることで、乗り越えた場合は短期間に大きな結果を得ることはある。私はしんどい思いがしたくないだけ、だろうか。しんどい思いもしたくないし、同期と同じスピードで、自分の得意分野はそれよりも違ったスピードで成長したいというのは、都合が良すぎるだろうか。

とりあえず失礼のない様にしたいと思っている。

洋服の買い方

春用のジャケットを購入した。自分は洋服の購入を即決即断出来るタイプではない。複数の店で複数のパターンの複数の服を試着して決めるタイプだ。こうして書くと実に手間のかかる面倒くさそうな客である。

 

春物ジャケットとして自分が使っていたのはマウンテンパーカーとブルゾン。気になっていたのはミドル丈のコート、テーラードジャケット、MA-1だ。結果的に購入したのはショート丈のジャケットだ。テーラードのように襟元が寝ておらず、胸元もあれほど開いていないタイプだ。選択肢をすべて無視した購入となる。隙あらば安心安全安定を求める保守派というよりは臆病派というべき自分は、今回は目新しいもの、冒険したものを購入したかった。少なくとも未経験タイプのものだ。結果的には春ジャケットに2万円以上も使う事にはなると思っていなかったし、色も今まで使ったことのないタイプだ。気に入っている。

 

それにしても、春ジャケットに2万も使ってよかっただろうか?いささか悩ましい。洋服というのは値段の振れ幅が最も大きいものの一つだと思う。原価の値段から考えれば、確実に2万などしない。人件費代、ブランド代など様々なものが加算されるのだ。そして流行り廃りがはっきりしているからこそ、セールでは値段が爆下がりする。しかしセールで欲しいものがバシッと手に入ることは少ない。

本当はインターネット注文したいが、質感や丈などはどうしても試着してみないと分からない。インターネットでも返品システムがある限り可能ではあるが、「注文→到着→試着→返品→到着」を繰り返す時間があるなら、さっさと街に出ろやという結論に至る。少なくとも私は至る。

 

インターネット注文できるものはなんだろうか。生地とサイズにある程度の自信が持てるものだ。過去に購入したものと同じものを購入する場合、もしくは慣れ親しんだブランドの場合だ。

 

アウター購入だったから試着にもそれほど労力は感じなかった。パンツの購入の時を思えば・・・。次はスニーカーが欲しいと思っているが、とりあえず後回しにすることにしよう。明らかに今日のジャケットは予算オーバーだ。さんざん悩んで選んだものがダントツ最高額とは恐れ入る。

どうして旅に出るのだろう

同級生の女の子2人が、自分たちで1か月の大きな旅行プランを組んで旅行に行っている。オンラインに記録をアップしてくれていたから、今それを読んでいる。わくわくが伝わってくるようで、自室のパソコンの前で興奮が湧きたってくる。

 

自分も旅行は割合好きだ。そしてできればタフな旅が好きだ。旅行会社に申し込んで、チケットの手配や日程を組んでもらうより、自分で段取りをする方が好きだ。理由はありきたりな理由が並ぶだろう。安い場合が多いから。思い付きで変更がきく。自分で細かいところをアレンジできる。手間暇をかけた方が達成感が湧く、などだ。

 

なぜ旅が好きなのだろう。ここではない何処かへ行ってみたくなるからだろう。安心と安全と満足になれると、刺激と確認と高揚感と新鮮さを求めて外に出たくなるのだ。

3日連続昼ご飯がカレーライスだったら、次は焼肉定食が食べたくなる。5日間コーヒーショップでカフェラテを頼んでいたら、次はカプチーノでも頼もうかと思う。2か月同じズボンのレパートリーだったら、もう一本買い足すか買い替えるかしようと思う。何か月も何年も住んでいるところが同じなら、1週間か1か月かぐらい違う街に、国に、土地に行ってみたいと思う。そういうものだと思う。

 

わくわくするほうに行ってみたいのだ。それがたとえ、今の居場所の居心地が悪い事から逃げ出す側面があっても。目の前の後回しにした課題からさらに逃げ出すために失踪するためであっても。ちょっとだけやった英単語帳を無視して新しい英単語帳を買うような行為と類似点があっても。

世界観を広げたい。近くに新しいパン屋が出来たらあんぱんぐらい買いに行こうかと思う。近くに新しいコンビニが出来たら、なぜか足を運びたくなる。そういうものだ。

大塚愛の桃ノ花ビラ

大塚愛の桃ノ花ビラという曲が好きだ。知り合いの勧めですいかというドラマを見たのだが、そのテーマ曲だった。調べてみると、大塚愛のデビューソングだそう。

すいかのストーリー自体は、独身女性が母親といざこざしたり、ハウスシェアしたりしていく話だ。近年より増えているとは思うが、独身生活の遣り甲斐や生き甲斐というのは絶妙なドラマのテーマになりやすい。

「本を読む本」について書かれたブログを読んだ

驚くほど小物臭のするタイトルである。

【20冊】20代のうちに読んでおきたい本をまとめてみました。 - NAVER まとめを読みまして、上から目線の「本を読む本」を10倍楽しく読む方法: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるの記事に行きつきました。

 

読書には2種類あるそうだ。

1つ目は一つの本から知識を得るために繰り返し読む事。

2つ目は一つのテーマについて複数の本を横断的に読む事。

 

以下ブログ記事からの抜粋。

読書の幸福を伝えるために、読者は次の10カ条の権利があるという。

  1. 読まない権利
  2. 飛ばし読みする権利
  3. 最期まで読まない権利
  4. 読み返す権利
  5. 手当たりしだいに何でも読む権利
  6. ボヴァリズムの権利(小説と現実を混同する権利)
  7. どこで読んでもいい権利
  8. あちこち拾い読みする権利
  9. 声を出して読む権利
 10. 黙っている権利

 

なるほどと思う。

そして、この記事を読みながら、読書は決して高貴なものではない、という旨の文章があって、自分はこれにいたく賛成する。自分はどうも「読書を大切にしている俺」に酔いたいらしい。(自分は隙あらば自己陶酔したがる奴である)読書をする目的など個人の自由だから、別に自己陶酔が目的で知識や経験が副産物でも構わないのだが、その差異を自覚していないのはかっこ悪い。自分ではしっかり分かっておきたい。

 

というのも、これと似たような話が最近あった。manga oneという漫画アプリで、神のみぞ知る世界という漫画の作者が、ねじの人々という漫画を掲載している。この中に、「ものを考えること自体は高尚でもなんでもない。考えることはただそれだけのこと。考えるからといって特別な人間ではない」という内容がある。自分はこれにもいたく心動かされた。自分はあれやこれやを「考えるだけで」自分が特別だと思いたがる節があるからだ。訓練、練習、研鑽をサボって方法論を語るのは非常に無様なものだ。