都会暮らしと田舎暮らし

多くの人が考えるテーマだろうから、ネットを上手に検索すれば誰かが高品質にまとめて下さっているデータが見つかるのであろうが。

 

自分は出身は田舎だろう。そして今は多少都会に住んでいる。現在の自分の希望としては「とりあえず一旦より都会に」住んでみたいと思っている。つまり現時点で永住願望はない。もちろん、行動無くして感情もモチベーションもないから、数年後より都会の中で自分が何を感じるのかはその時の己のみぞ知る、だが。

 

自分の周囲の人間はこのまま「比較的都会」に永住する予定の人間が多い。そういった人たちに、「より都会」に行ってみたいと話すと、まあ喜ばれることは少ない。しかし一定層賛同してくれる人々もいる。

より都会に出てみたいこと自体に対する賛否は今回は置いておくとして、よく「戻ってくるつもりっていう人に限って戻ってこないんだよなぁ」と言われる。このセリフが気になる。

 

彼ら(以下A)と話した「より都会」に出た人々(以下B)はなぜ戻ってくるつもりだと彼らに話したのか。

1、Aは「より都会」に出る勇気がなく、そんな己にうしろめたさを感じており、Bにある種の羨ましさを感じていた。BはAの嫉妬心を感じ取り、その感情を煽らないために詭弁としてその発言をした。

2、本当に戻ってくるつもりだった。もしくは比較的都会が戻ってくるに足る場所だと信じていたかった。

 

上記の2つが大きな理由ではないかと思う。

 

地方出身者が上京してそのまま在住することの方が、その逆よりも多いはずだ。だから人口偏在が進んでいるのだから。

 

弱いとか強いとかいう単語は非常に戯言めいているが、都会でしか暮らせない、田舎でしか暮らせないという人間は生き物として弱いなあとたまに思う。余計なお世話だろうが。

単純に、自分が少し寂しく感じるときがあるのだ。中学生から高校の頃から親しくしている友人と、同じようなことを経験し、同じような変化を遂げているつもりでいたが、大学生になったあたりから、意外と異なる経験をし、異なる人間関係を持ち、異なる理想や感情を抱くようになっている。2人きりで飯を食っているときの雰囲気は昔から変わらないが、未来や将来に抱く思いはいつの間にかまったく違うものに、決して物理的に傍にはいられないものになっている。誰も悪者ではない。誰かが怠惰だったわけでも、誰かが優れていたわけでもない。青色が好きな人と緑色が好きな人がいるように、ペンギンが速く泳ぐが空を飛べないように、すずが体をゆすって綺麗な音を出すがたくさんの言葉をおしゃべりできないように。

 

その違いこそが何より面白いものなのだから。自分のわくわくを、好奇心を刺激したものなのだから。

 

そしてそれほど違う考えを抱いてなお、当然の如く時間を合わせ予定をずらし、席と場を整えお茶やお菓子をつまみながらダラダラ話せるのだから、今生きる価値をかみしめるべきというものだ。