12月

本年も終わり間近。お疲れ様でした。どんな1年だったか、来年はどんな1年にしたいか。今年出会った人、読んだ本、行った場所、食べたもの。

コロナが落ち着いた時期から、久しぶりに会う人や新しく会う人とご飯を食べた。美味しいシチリアイタリアン、久しぶりに顔を出す飲み屋、1年ぶりにホテルビュッフェで再開した友人、コロナ禍でも定期的に会う友人、先輩後輩と高いご飯、地元の友人が用事ついでに声をかけてくれる。

みんな頑張ってんだなあ、と思うのが好きである。

今年の買い物良かったもの、とか話してみた。Jabraのワイヤレスイヤホン85tは良かった。今選び直せるならSONYの最新作にするかもしれないけど、接続安定、2個のマルチペアリング、通話に差し支えないマイク品質、自己経験最高のノイズキャンセリング。良い商品。

買い物じゃないところで言うと、Evernoteを日記代わりに使い始めたのは英断っぽいなと思い始めている。もうなにせ、確かに毎日一応、昨日とは違うことを考えているし、日記には書いている。ただいかんせん、「いやこれ先月、少なくともこの半年のどこかでは同じテーマについて絶対考えたし、この思考回路とこの結論に辿り着いたことがある。」「それを忘れて同じ思考を繰り返すの無駄が過ぎる。どうにかならんか。これじゃセーブせずにRPGやって、毎回電源落として最初からやり直してるようなもんだ」と嫌気が差していた。そこで、Evernoteで雑書きという何でも書く日記ページを設けつつ、書きながら「ん?このテーマは過去に考えたやつ・・・」と思ったらそのページに移動して更新する、という書き方に移行した。まだRPGゲームの様に、セーブ→セーブデータから再開、というほど明確にはなっていないが、少なくとも毎回セーブせずに電源落とすかの様な不毛さは減った。そして同時に、現在取り組んでいる案件の進捗状況を管理できる様になったし、見通しが立たなくても、まずは手をつけてみやすくなった。

これも過去に言ったことだろうが、本当、産む親を選べない様に、死ぬ日も選べないものだ。悪事や因果応報な事をせずとも、死ぬ時期やタイミングがやってくることはいくらでもある。本当に、今日生きている、というだけだ。それに悲観するわけでも、焦ってどうにかなるわけでもない。自分の年齢のせいなのか、自由が拡充されている時代だからなのか、自分の意思で、自分の行動で極めて多くのことがコントロール出来るという印象を持っている。それはある程度正しいし、それと自分のコントロールの完全範疇外の理不尽は併存する。やってみたい事、行ってみたい場所、食べてみたいもの、話したい人がいるなら、予定ぐらい立ててみたら?というのはきっと素敵だ。

プロジェクトは、大詰めというには嘘だが、終章・・・というのも言い過ぎか。でも音楽でいうならサビ、サスペンスでいうなら犯人特定ぐらいの佳境には辿りつきつつある。もういっちょ、正念場だな。