1月

2020年になった。うるう年だ。オリンピックイヤーだ。

7つの習慣。関心の輪と影響の輪。影響の輪の部分に全力を尽くすこと。影響の輪が広がっていく。「赤子がその手を伸ばして世界を少しずつ広げてゆくように」。自分のすべき課題に全力や最善を尽くそうとする基本姿勢。それが礼儀にもなるし、そういった姿勢で取り組む人間には信頼が集まりやすい。

地方に移動して勤務している。周囲に娯楽施設がなく仕事が早くに終わるため、18時ごろからスーパーに行って食品を購入し、自宅で動画を観たり音楽を聴いたり室内で体を動かしたりしている。

地方勤務で良い点

・コンビニに入る回数が激減した。というか平日5日間の内に1回も行っていない。都内にいる間はストレス解消目的もあり1日に4-5回は入っていた。コンビニに使うお金は無駄であろうと思っていたため、環境の変化を契機になくなったことはうれしい。都内に戻った時にもコンビニには入りたくないが、どう対策しようか。

・食事を自炊するようになった。料理を作ること自体が好きなようで、スーパーで食べてみたい食材を購入し、料理を作って当日には食べずに保存したりしている。

地方勤務で悪い点

・今のところあまりないか・・・?もともと引きこもり好きであるため、誘惑や刺激の多い都心よりも地方在住に向いているのだろう。月収が増額して家賃が減額して嬉しい。

10年以上もやせたいと思っているのに、なんとなく食べることを管理できない。食に関する思い込みが多々ある。例えば、白米を食べないと満足できないなど。

ダイエットに関する本の中で「空腹でないときは食べる必要はないはずですよね?」と書かれていて衝撃を受けた、ことに衝撃を受けた。食事のタイミングになって「お腹すいていないからまだ食べなくていいや」と考えて食事をとりあえず後回しにした経験がほとんど思い当たらなかったからだ。時間が来たから食べる。食べたいものを食べる。疲れたから食べる。目の前にあるから食べる。差し入れを頂いたから食べる。そりゃあオーバーカロリーで太る。

次のステップに進んだ。帰宅して18時。お腹がすいていない。じゃあ食べるのは後にしようと思う。なんと、食事を用意して食べ始めた。驚いた。何事もなかったかのように食事を準備して白米とおかずを並べて食べ始めた。他の楽しいこと、気のまぎれることをしようと考えてみる。・・・はて?食べていることに勝る快感があるだろうか・・・??思いつかないぞ。となる。

これは困った。偉そうに傲慢な文言を並べ続けてきたにも関わらず、空腹でもないのにとりあえず食べる、という以上の快楽をとっさに用意できない。文化も教養もあったものではない。落ち込んだ。

ここで最近みたYouTubeの動画を思い出す。できないと言って落ち込むことは、精神論に終始してしまってなんの発展もない。できないもんである、できないのが普通である、買いかぶりすぎである、さてどうしようか、と考えようと言っていた。

さて、どうしようか。好きなことがないこともなかろう。好きな音楽を聞きながら体を動かすのがすごく好きだ。音楽を聞きながら筋トレをするとより良いのであろう。他に好きなことは何だろう。綺麗な好みの部屋を見ているのが好きだ。部屋の片づけと整理と断捨離をするのはどうだろう。暗い部屋でろうそくの火を見ているのは落ち着くから好きだ。いい匂いも好きだ。お香やアロマは使っている。しかし、おそらく体を動かすのが一番よさそうだ。どんなふうに体を動かすか、が次の論点だ。

どのように体を動かしているかがわからないと面白くないのは俺だけだろうか。ひどいナルシシズムなんだろうかと不安になっているが、鏡を見ながら自分が体をうまく動かせていることを確認できると嬉しい。大きな鏡を買わざるを得ないのか?いやそんな馬鹿な話があるか?

学書をiPadで読む。読書の続きをKindleで行う。